日本とフランスのあいだ

雪国で生まれ育った親と、南米で育ったちびっこ達の生活記録です。筆者は、お笑いと福袋をこよなく愛す40代です。

出会いは宝

 ブラジルを発つ直前、長女のクラスメイトがお別れ会をしてくれました。通常ならば、旅立つ側がみなさんを招いてご馳走を振舞うのがブラジル流です。しかし、わが家には60人もの方々にステーキやスイーツバイキングをごちそうできるような余裕はありませんσ(^_^;)

 お別れ会を仕切ってくれたのは、日系人のママ友です。なんと、大型遊具のそろったパーティー会場で開催してくれました。子供達は自由に遊んで、母親達はパーティー用の個室に集まっておしゃべりを、5時間ほど続けたのです。送別会に消極的な私に変わって他のお母さん達が、料金もみなさん会費制で行ってくれました。

 その日の授業では、先生がクラスでメッセージカードのアルバムを作ってくれました。クラスメイト24人と先生からのお手紙で、私も長女もとても感激しました。

 小学校1年生なのに長女の親友は「あなたが、新しい人生を始めることをうれしく思います。」と大人顔負けの言葉を書いてくれていました。何度読んでも感動してしまいます。

 長女が好きだった男の子からは、指輪とハートの切り抜きが貼り付けてあるだけのメッセージで、小さな恋を見ているようでした。

 ちなみに私が6歳くらいの時は、漫画のことと、お小遣いでレーズン入りのクリームパンを買い食いすることばかり考えていましたが、世間の6歳っていろいろ考えているんですね。

 クリチバで一番よかったのは、素敵な方々と出会えたことです。特に私と長女にはたくさんの出会いがありました。 6歳だったら、毎日遊んでいたお友達のことは大人になっても少し覚えているかもしれません。ポル語はきっと忘れてしまうけど、ブラジルでできたお友達との思い出は忘れずにいて欲しいです。

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